寿司職人ブログ

人生真ん中あたり

【読書感想文】知的幸福の技術

 2017年度が終わり新年度を迎える今日、1日に1ページでもいいから本を読んで考え、自分なりの理解や感想をアウトプットする習慣をつけようと思った。

 今日は4/1、すなわちエイプリルフールだけれど、俺の決意は嘘ではない。ただし継続できるかどうか、その保証はない。

  前置きが長くなった。本日読んだのは「知的幸福の技術〜自由な人生のための40の物語〜」(橘玲幻冬舎文庫)である。

 「マネーロンダリング」「黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」「お金持ちになれる黄金の羽の拾い方」などの金融・投資領域から「(日本人)」「言ってはいけない〜残酷すぎる不都合な真実〜」「リベラルがうさんくさいのには理由がある」などの社会評論まで手がける橘玲氏が、2004年に日経新聞日曜版に寄稿していたコラムをまとめ加筆したものである。

  この人の作品に通底するのは「聞きたくない無味乾燥の『事実』」である。読み進めていくうちに「世間で正しい・当たり前とされている常識」が実は幻想に近い、または構造的に破綻することが運命づけられていたものであり、生き残りたいのであれば旧来的な「ムラ社会(≒旧体制的かつドメスティックな日系企業)」を飛び出し「市場(≒グローバル競争社会)」に飛び込まなければならない気分にさせられるのである。

  この本における「世間で正しい・当たり前とされている常識」とは「生命保険」であり「住宅ローンを組んだマイホーム購入」であり「日本国による国民への福祉政策」などである。個人の自由な選択を否定することなく、むしろ個人の自由な選択を尊重するが故に、これらの経済学的不合理性を説いている。

  つまりこの本は自由至上主義、いわゆるリバタリアニズムの思想に沿って描かれている(実際にあとがきでも、PartⅡ部分はリバタリアニズムの考え方を翻訳した、と書かれている)。

  橘玲氏は他の著作において、「現代は知能の高低が収入の多寡に直結する社会である(知能格差社会!)」「知能は遺伝する」と身も蓋もないことを書いている。俺はこの事自体は事実であり、否定することではないと考えている。

  しかし自由について考えるとき、果たして本当にその自由、特に「個人の選択の自由」なんぞは本当に自由なのかと俺は思ってしまうのだ。独立した個人の自由意思、そんなものが果たしてこの現世に存在するのだろうか?存在するとして、継続可能なのか?俺たちは国家と巨大資本にコントロールされている。誰が貨幣に信用を与えるのか?俺たちヒューマン・ネイチャーは地球の空気の組成と水と食料がないと生きていけないのだから、そもそも自由は制限されているのだ。

 

 必然的に格差が生まれるこの世の中で、リバタリアンたちが高い知能で築いた豊富な資本でgated cityに住み、この世の春を謳歌してアホな貧乏人どものために使われる税金なんて払ってられるかと思っているのであれば、そのアホな貧乏人が群れを成して竹槍を構えてgated cityに突撃してくれないかな、などなど、極めてニヒリスティックな感想を抱いてしまった。

  とはいえ何もしなければ俺たちは路頭に迷ってしまうので、とりあえず己の人的資本価値を高めるしかないのだろう。

 しかし、人的資本も遺伝子や親の収入(育った家庭が教育に投資できる家庭だったかどうか)に依存するだろうなと考えると夢も希望もなくなってくる本である。知能が高めの人は勉強して自己投資して、人的資本を高めなきゃ!と意識が高くなると思う。10年以上前の社会背景ということを割り引いて考える必要があるが、オススメ。

 

知的幸福の技術 自由な人生のための40の物語