寿司職人ブログ

人生真ん中あたり

エモさは深夜にやってくる

 ブログを書こうと思ったら寝てしまっていました。「最近少しエモみがなくなってきたんじゃないの?良かったね。」と知り合いに言われました。確かにエモいツイートは減ったように思います。しかし、私の中からエモさが消えたかといえば、決してそんなことはありません。毎日彼女のことに思いを馳せております。まだまだ風化しておりません。おそらく他にツイートしたくなるようなネタが多いため(東京医大のアレ関係)、一時的に彼女に関することをつぶやく頻度が少なくなっただけのような気がします。加えて、エモいアラフォー男性には需要がないであろうことから、エモさを内に秘めてしまっていると自己分析しています。

 「感情をコントロールするのが大人の作法」であると、私は思います。これは「感情を安定した状態に保つ」という意味なのか「感情を表情・言動に出さない」という意味なのかよく分からなくなることがあります。恐らく両者なのでしょうが、要は「その場の気分の高まりで衝動的行動をとらない」ことがベースにあります。例えば一昔前のアメリカ映画の勝ち気な女性主人公がとる態度のような(具体的な作品名はなにかと言われたら出てきませんが)。先々を事を考え、その場の気分に流されず、必要だと思われる手を打つ冷静さを持っていたいと思うわけです。それができなくて随分失敗してきたような記憶があります。皆様におかれましては感情のオーバードライブから短絡的な行動に出られないことを望むものであります。

 それはそれとして、ときにガス抜きも必要です。彼女のことを考えたとき、幸せな(哀しみも同時に湧き上がりますが)気分になれることは事実です。供養のために時々ツイートすることを許してもらえれば(いい年したオッサンなんだから自分で許し自分で制御すればいい話ですが)幸いです。ブログ記事に書くことでもね。

 彼女は聖人ではなく、かといって悪霊でもないひとりの現世に生きている人間ですが、私の記憶の中で過剰に美化されている可能性があります。何せ一緒にいて楽しかったし、嫌なことが一つもなかったから。そういう人への思慕の情は、火が消えた暖炉の炭のようにーあるいは海洋深層水のようにー静かに静かに心の中に流れ続けるのでしょう。ああ、幸せになってほしいなあ。彼女の望むかたちで軟着陸してほしい。その相手がわたしでないことは確かなのですが、あの笑顔が他の男性に向けられるのは嫉妬を覚えますが、また一緒にクラフトビールを飲みながら笑いながら話をしたいですが。(僕はビールじゃなくて炭酸水でもいいかな)

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 せっかく少し前向きになってきたところで、美しい過去の思い出にすがり後ろ向きになりたくなるような出来事が起こるのがこの世の習いであります。彼女のことを考えることでもっと強い自分になれたら素晴らしいんですけどね。早く血となれ肉となれ。