寿司職人ブログ

人生真ん中あたり

過去の供養と自分の中の虚しさと

 私の望みは何なのだろうか。

 心の奥底から湧き上がるような欲望、衝動、一生かかっても良いから成し遂げたい何か、睡眠時間を削り多くの労力を費やしても構わない何か。。。そういったものが、私にはない。熱い何か、がないのだ。

新装版マイ・ゴール これだっ!という「目標」を見つける本

 多くの自己啓発的な本を読んでいると、「大切なのは情熱である」といった趣旨のことが書いてある。その情熱が湧く何か、心躍り胸はやる何か、明確に言語化できる何かがないのである。いま就いている仕事に楽しみを覚えないとか、人生が虚無感に満ちているとか、そういうわけでもない。人生の残りを消化試合と捉えているわけでもない。燃えるように打ち込む何かがないのだ。

情熱の薔薇

情熱の薔薇

 野心に溢れる男性は男性ホルモン(テストステロン)が多く分泌されているという。生理前〜期間中の女性のメンタルの振れ幅は女性ホルモン(エストロゲンプロゲステロン)に支配されているように、野心に溢れ、その野望を実現するために動き回っている男性もまたテストステロンに支配されているといえよう。わたしたちはホルモンの奴隷なのかもしれない。

超 筋トレが最強のソリューションである 筋肉が人生を変える超・科学的な理由

 私は現在、ブログの執筆(というほどきちんと書いているわけではないが)と英語の勉強、筋トレを続けている。これは情熱的に行っているのではなく、ただ「仕事や健康を考えた上での行為の必要性を感じ、そしてある程度好きだからやってる」というマイルドな理由である。健康ランドのジャクジー並の心地よさである。太陽の光ではなく月の光。穏やかな前向きさ、それが今の私の状況である。確かに年内75kgを達成したい。しかしそれは例えて言うなら細い渓流を水が流れるようなもので、文化祭のキャンプファイヤーの燃え盛る炎ではない。40歳手前だし、それで良いのかなと思う。ストレッチし続けることで達成できそうな目標をいくつもいくつも持ち続けること、それが凡人中の凡人であるわたしに向いている生き方なのではないか、と考える。

 色恋に燃やす情熱は多くが枯れてしまった。にも関わらずエモキモな文章を書き連ねている。相手を愛する気持ちではなく、過去の思い出と関係性に執着する、古いエンジンオイルのような酸化した物質に変質してしまったのではないか、と自分を観察していて思うようになった。過去を供養しなければならない。過去を供養することに残り少ない情熱を注いでみようか、最近はそんなことを考えている。

先祖代々供養 お経の出るお線香