寿司職人ブログ

人生真ん中あたり

禁酒はアルコールからの自由である、というお話

安倍政権のマスコミ対策の陰謀でしょうか、不起訴にはなりましたが、元TOKIO山口達也氏が酔って女子高生に強制わいせつした事件がメディアを賑わせていました。ジャニーズ関係者が起こした不祥事という観点、46歳の中年男性による10代少女への強制わいせつという観点、さまざまな観点から語られるこの事件でありますが、著名な精神科医アルコール依存症の観点からこの時間を切り取って語っているので紹介したいと思います。

 山口メンバー、アルコール依存の怖さ体現:日経ビジネスオンライン

 リンク先は和田秀樹氏が日経ビジネスに寄稿した記事となっています。学歴問題や大学受験の学習法(と映画)で有名な和田秀樹氏ですが、本業は精神科医です。

 当記事においては山口達也氏の当時の状況を精神疾患の診断基準であるDSM-Ⅴに照らし合わせて「アルコール依存症」と捉え、アルコール依存症とはどのような疾患なのか、日本におけるアルコール依存症はじめ各種依存症をとりまく問題、ひいては日本の社会心理的土壌まで語られている。個人的に印象的だったのは以下の記載である。

存症が病気とみなされず、個人の意志の弱さが原因であると片づけられるため、治療を受けようとする人がなかなか増えないし、治療機関も整備されない。これだけでも、日本で依存症になる人には悲劇なのだが、意志の問題と思われる分だけ、依存性の高いもの(アルコールやスマホゲームなど)が放置され、逆に宣伝が平気で行われるため、依存症に陥るリスクが増えるし、また依存症から脱するためにその物質や行為をやめている人への誘惑も多い。

  日本では依存症を「意志の弱さ」とみなす風土があるというのです。さまざまな事柄を「自己責任」「それを選んだお前が悪い」で片付けてしまう人が最近増えているような気がしているので、たしかにそうなのだろうなと思いました。

 酒については明らかに犯罪や事件を誘発するのにテレビでたくさん広告されているし、飲食店の飲み放題プランは無くなりません。例えば北海道では「飲み放題の文化」があるくらいです。

 「クスリはリスク」と言われるが、百薬の長でも飲みすぎは明らかに個体にも社会にも良くない。兼好法師徒然草

百薬の長とはいへど、万の病は酒よりこそ起れ。憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思い出でて泣くめる。後の世は、人の知恵を失ひ、善根を焼くこと火の如くして、悪を増し、万の戒を破りて、地獄に堕つべし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生る」とこそ、仏は説き給ふなれ。

と書いているように。。。鬱状態の人がお酒を飲むと希死念慮が強まり、不幸なことになってしまいます。できれば酒自体を控えるのが良いと思われます。

 でも、人は弱いものです。自らの意思だけではどうにもならないときが多々あります。自助だけでは辛いです。共助、公助でもなんら恥ずかしいことはない。少なくとも、わたしは依存症からの脱却について人に助けを借りることを恥ずかしいとは思いません。誰かに助けを借りていても、もしかしたらその姿が誰かを助けているかもしれません。

 私自身、酒を飲んではものをなくしたり家族に迷惑をかけてしまったりしたので、他人様に偉そうに禁酒・節酒を説ける立場にはありません。ただ、禁酒前の自分はみっともなかったなあと反省しています。

 お酒を飲みたくなった時、特にそれがストレス源からの逃避行動の場合は大変危険ではないかと思います。身近な人に何も相談できない、しても無駄だと思っている、その状態がすでに心理的社会的に危険な状態だと思います(私もそうでした)。誰でもいいから弱音を吐き、飲酒をはじめとした自傷的行為から距離を置くよう試みてください。大切な人の顔を思い浮かべてみてください。

 できるならみなさんに心身ともに前向きな状態で生きてほしいと願っています。特に持病もない人はそのことに感謝して、できれば他者を支える力にその力を使うことを考えていくとまた違った人生の見方ができるのかもしれません。なんだか道徳の教科書じみた話になってしまいましたが、この刺激と誘惑の多い現代社会で快楽の海に溺れないための羅針盤はある程度必要だと思います。今こそ自制心や道徳を呼び起こさねばならないのでしょう。まずは自分にできることを。そう思い、このエントリを書きました。自戒と注意喚起を兼ねて。