寿司職人ブログ

人生真ん中あたり

すべての男は消耗品であるという認識はあまりにも偏っている見方であるかもしれない

 インターネット中毒であった。過去形かよ、今もだろ、とツッコミを入れてくださる方もいると思う。今は多少マシになった。ツイッターもやめたし、ネットサーフィンの頻度も減少した。ネットサーフィンとはいってもぼく自身は調べものをしているつもりなのだが。

 ぼくはまだリアルワールドの方に帰ってこられたので良かった。リアルワールドー仕事や家庭ーに強い結びつきを感じているからだ。インターネットの向こう側に別のペルソナを創りあげてしまう前にリアルワールドの自分自身を構築してあったので、アイデンティティのアンカーはまだリアルワールドにあると言うことができる。インターネットに出会うのがある程度自己を構築した年齢で良かったとある本を読んで安堵した次第である。

 その本とは「男子劣化社会」である。映画「es」の元ネタにもなったスタンフォード監獄実験を企画遂行したスタンフォード大学名誉教授フィリップ・ジンバルドーとそのアシスタントのニキータ・クーロンの共著である。

男子劣化社会

読めば読むほど暗澹たる気持ちになり、「この世に自分を含め男は必要ないんじゃないか」という暗澹たる気持ちに襲われる。ポルノ・ゲームへの異様な親和性とそれにより引き起こされる様々な社会問題とインターネットコミュニケーションにより肥大する(根拠のない)自己愛がもたらす女性差別ディスコミュニケーションなどなど。アメリカやイギリスの事例や様々な研究結果がこれでもか、これでもかと「男性の劣化」の現状を描き出している。具体例を出そう。

アメリカでは、13,4歳で作文や読解において熟達レベルに達している男子は1/4にも満たないが、女子は41パーセントが読解で達している。2011年には男子生徒のSATの成績は過去40年で最低だった。また、学校が渡す成績表の最低点の70パーセントを男子生徒が占めていた。

男子は学校の成績が悪い。それでは学業ではなく他の面でー交友関係などでー忙しいのかというとそうでもないようである。著者のジンバルドーの調査によると

1970〜80年代には、アメリカ人の約40パーセントが自身を「シャイな状態にある」または「性格的にシャイである」とみなしていた。(中略)しかし、ここ30年間に自身をシャイだと認める人の割合は着実に増加していった。インディアナ大学サウスイースト校のシャイネス研究所が2007年に学生を対象として行った調査では、84パーセントがそれまでの人生のある時期にシャイだったと答え、43パーセントは今もシャイであると認め(略)た。

というのである。しかもシャイはシャイでも旧来のシャイ、つまり「人との接触を欲しながらも悪い印象を与えて拒絶されることを恐れるあまりにシャイになる」のではなく新手のシャイ、つまり「人との交流の仕方がわからないために人との接触を嫌うようになり、それにより練習不足に拍車がかかって、ますます他人から自分を遠ざけるようになった人たち」が増えてきたと論じている。基本的な社交術を知らないのである。その結果、社会的に孤立した状態でゲームなどにハマってしまい、対人対応スキルの練習不足により、更なる孤立の穴にハマってしまう。

 それが招く結果は草食化であり、引きこもりであり、ネットやゲームのバーチャルまたはSNSのセミリアルな世界の中で全能感に浸る残念な男性たちの増加である。これは肥満・少子化など基本的にロクなことにならない。

 なぜこんなことになるのか?本書ではそれの1つの回答として「メンター不在」つまり家庭における父親不在の問題がとりあげられている。このほかポルノ業界が次々と刺激的なポルノ作品をネットに垂れ流していることや、男性教師の不足、メディアによる男性蔑視的表現(「アナと雪の女王」はアナとクリストフの立場を逆にしたら非難殺到であろう)、司法における女性優遇、女性とは異なる男性の生物学的脆弱性に配慮した教育プログラムの不在など、考えられる要因がたくさん挙げられている。男性だけの問題ではなく、女性も含めた社会の男性への目線もまた問われていることがわかる。

 ツイッターでは終わりなき男女のバトルが繰り広げられているが、バランスと良識を欠いた議論(議論というよりはむしろ罵倒に近い言葉の応酬)がなされているように思う。かつては自分もその渦中にいたことを恥じるのみである。次世代の男性の良きメンターとなるためには何が必要で何が不要なのか?男性と女性は異なる性として原人から数百万年の進化を経てきたのだが、生物学的特徴とあらまほしき社会秩序とのバランスのとれた(社会全体で考えるよりは最小単位である家庭における夫婦個々で最適なバランスを見出した方が良さそうだが)男女のあり方を考えていかねばならないのだろう。それはネットを含めたメディアによるささやきをある程度無視しないと達成できないのだろう。しかし新しい男女のあり方についてある程度のコンセンサスを得た暁には、男女の役割が大きく変化しつつある現代日本において「おごりおごられ論争」のような性差別満載の口喧嘩が少しは減るかもしれないと淡い希望を抱いているのである。

 

es[エス] [DVD]